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結核性胸膜炎
闘病的日乗

突然結核性胸膜炎になってしまいました。
これから先、突然に結核性胸膜炎を患う人も居ると思われるのでその参考になればと思いupしていきます。

19年後には「悪性リンパ腫」になってしまいました。闘病記はこちら




01/10/12

今国立病院の一室から外をぼんやり眺めている。良い天気だ。8Fなので眺めも良い。
昨日からここに入院している。病名は胸膜炎?肺炎?未だ検査中でハッキリしない。
昨日は肺に溜まった胸水を100ccくらい取り出した。これで幾分楽になった。

思えばweb用に「東京23私観」の荒川区をビデオ撮影したのが9/26。
その翌日に喉が腫れて風邪を引いた。
微熱が続きまともに喋る事が出来なかった。喋り出すと咳き込んでしまう。

10/2から名古屋に出張。18日まで滞在予定であった。名古屋到着後、咳き込む小生を見て
担当ディレクターは病院行きを進めるが、もし即入院となると仕事を途中で投げ出す事になってしまうので拒否する。微熱があり喋り出すと咳が止まらず、息使いが荒い日々が続く。

10/5、ホテルにて就寝中、トイレに立とうと上体を起こした時、突然右胸に激痛が走り、床に崩れ落ちてしまう。冷や汗が出る。一瞬自分の死を意識する。生れて初めての事だった。
さらに翌日の深夜、今度は呼吸困難から目が覚める。身体が震えている。これはもう駄目だと、着替えをしてホテルのロビーにて救急車を呼んでもらう。生まれて初めての救急車。救急指定の民間病院にて点滴2本と座薬。病名は気管支炎喘息、だそうで朝方には元気になる。そのまま仕事先。病名が分かったのだから毎日点滴受ければ良くなっていくだろう、と考えていた。

翌日の午前中に同じ病院で再び点滴。「・・・ようなっとる」との院長先生のお言葉。
翌日は点滴を休み仕事に専念。が、さらにその翌日の朝、息切れが非道く、10歩歩くともう息が続かない状態となる。民間病院に行ってレントゲンとCTを撮る。担当は別の先生。
「・・・肺に水が溜まってる、相当悪いよ」「点滴で治りますか?」「治しましょう」と先生。点滴受けて仕事先へ。再び熱が出る。このまま治るのかよ・・・。

翌日はさらに別の先生。カルテと写真を見て「・・・もっと大きな病院で治療した方がいい」「えっ?!昨日は別の先生が点滴で治るって言っていたんですけど。。。」
タクシーで国立病院へ行く。ひととおりの往診後
「あんた相当非道いよ、・・・はい、入院ね、決定」
「・・・えっと・・・仕事が途中なので2.3日猶予を・・・」
「・・・えっ・・・あのね、仕事と自分の身体、いったいどっちが大切なの?・・・はい、入院っ、手続きして」


01/10/13

以上の経緯で11日の10時頃入院した。

まずはレントゲンを再び撮る。そしてベッドへ。
昼食が出る。食欲はあるのでさっそくパクつく。タラコスパと鮭のソテーだったが美味しい。
今回名古屋に来て初めて美味しかったのが病院食だったとは・・・。
午後熱が出てきたので薬を飲んで汗を出す。途中「処置室」で背中側の肺から胸水を抽出。
これを調べてどんな菌が原因か特定するらしい。
新種のペニシリンを100ccずつ午前・午後に点滴する予定らしい。
担当医が親族に連絡するようにと言ってくる。母親は高齢で心配させたくないので連絡無しに出来ないか?
それは困る、親族には病状を説明しなければならない。またいざと言うときの引き取り人として必要だ。

12日。朝母親に連絡する。杖をつき新幹線で飛んでくる。母方の親類はほとんど肺病やみだったらしい。
そういう体質なのかもしれない。
夜10時過ぎ、39.2度の発熱。氷枕して解熱剤飲んで汗を出したらすぐに下がる。
肺の炎症からの発熱だと思うが、高熱が下がらず続くようだとかなりヤバくなるのではないか。

ここの病院食が非常に美味い。以前腰痛で5日間ほど埼玉県内の病院に入院した事があるが
そこと比べて質的にも量的にも圧倒的に勝っている。病院食は糖尿病等カロリー制限が無い場合は
1日の標準摂取カロリーが目安になると思うが、このメニューでその中に収まっているのだろうか?
例えば昨日のメニュー、
昼飯はカレーライス、夕食はエビフライ定食であった。
さすが「名古屋」である。そのうち「味噌かつ」が出るかもしれない。

13日、朝食後、また発熱。39.4度。
東京から今回の仕事の仕上げを急遽頼んだISA君が来る予定になっていたのだが
完全に意識朦朧としていたらしい。気づくとIS君のメモが置いてあった。

担当医が来る。定期的に39度以上の発熱は今点滴しているペニシリンが有効でない可能性があるとの事。
また結核かどうかを判別するツベルクリン反応が微妙な結果らしい。
一方身体の酸素濃度を計った結果初めて95%の値が出る。
これはカスタネットを横長にしたような装置でカスタネットの口の先に人差し指を差し入れると
数十秒後には酸素濃度が分かる選れ物(だと思う)今まではずっと93か94%だったので
少しは良くなっているのか?
午前中の発熱からそろそろ12時間になる。また発熱すると今の点滴では効果無し、の結論になるのだろうか?


01/10/14

朝方38.1度の発熱。最初、熱は無いと思っていたので38度もありビックリ。
39度台の熱に身体が慣れてしまったのか。
さらに夕方に又38.2度の発熱。看護婦さんによると入院して4日目で未だ発熱があるのはおかしい。
多分点滴のペニシリンの種類を変える事になるだろう、との事。

初日に肺から胸水を取ったがその結果はどうなったのだろう?
入院2日目にレントゲンを再び撮ったが胸水は減っているのだろうか?



01/10/15

朝6時に38.2度の熱。
検痰の為、朝食お預けで、鼻からチューブ入れて胃液を採取。胃カメラよりしんどかった。
担当医の話し。「このペニシリンは最新のもので普通の肺炎の場合だったら2〜3日で発熱はなくなる。
入院するまで相当無理していたでしょ」「・・・はい」「ちょっと抗生物質を変えてみますから」
確かに風邪を引いて熱を出したのが9/27。10/11入院だから2週間近く引きずって来た訳である。
・・・自業自得か。しかし仕事中心で考えると10/11がギリギリのセーフであった。
それ以前に入院となったら仕事を途中で投げ出した恰好になり、他の人に頼めても期日までに仕上げられたかどうか・・・。

再び夕方5時に39.1度の発熱。薬を飲んで熱も下がり始めた時に担当医に呼ばれる。
「肺の胸水と今朝取った痰の中から、結核の際に数値が上がるADAが基準の4倍の値だった。
痰の中に結核菌は検出されてない。胸水もしかり。ただ結核の可能性も出てきたので
今後は結核治療に変更する」との事。
エライこっちゃ。結核とは・・・。

さっそくGoogleで情報を調べる。結核は戦前は「不治の病」と言われていたが戦後、特効薬が開発され
患者数は減っていった。が、現在も年間4万人程度の発症があるらしい。
軽度で1.2ヶ月の入院。肺に穴が開いてたりすると1年近くの治療期間が必要らしい。
治療方法は服薬のみ。定期的に薬を飲まなくてはならないらしく、それを怠ると薬に「耐性」が出来てしまい
まったく薬が効かなくなるらしい。
もし結核なら最悪の場合を想定して今後を考えねば・・・。


01/10/16

昨夜結核用の薬を飲んで就寝。これで発熱しなければ良いのだが逆に「結核」確定になる。
朝6時前、39.1度の発熱。薬をもらい汗だして1時間後には36.6度になる。毎日これの繰り返しである。
薬には副作用がありオシッコがオレンジ色になるらしい。朝トイレへ。おおっ、オレンジと言うよりまっ赤、である。
午前10時、ISA君がホテルの荷物を持って来てくれる。久しぶりに髭が剃れる。会社の事をいろいろ話し伝える。
彼は14時から東京で引き続き仕事だ。

午後5時過ぎ、お決まりの発熱がやって来る。何故キッカリ12時間毎なんだ。ウィルスは体内時計でも持っているのか?
38.4度。どっと汗を流しスッキリした気分で夕食。
担当医「・・・普通この薬を一度服用すれば1日で熱は収まるはずなんだけど・・・」
マア、もう1日様子を見ましょう。


01/10/17

今朝は発熱無し。薬が効いてきたか?
約6日振りの発熱のない午前中を過ごす。夕方の定期発熱も無かったら薬の効用だと認める事にする。
眼科にて眼底、眼圧検査。服薬の副作用を調べる検査。
「・・・異常無いですね、では1ヶ月後にまた調べましょう」「はい・・・(1ヶ月後、・・・って)」

現在午後8時前、夕方の発熱も無し。何とか薬が効きだしている様子。
当面のもう一つの問題は肺に溜まった胸水。6日前に100cc抽出したが再び溜まっているとの事。
頻繁に胸水を抽出すると体力が衰えるのでなるべく控えたいとの事。
体力が落ちると薬が効かなくなるらしい。母親が昔は結核病は別名、贅沢病とも言われていたそうな。
栄養のある物を沢山摂らないと菌に負けてしまう。
担当医も同じ事を言う。あなたは糖尿の気は無いのだから、間食をして美味しい物をどんどん食べなさい。
体力をつけるのは食事から始まるのです・・・。
しかし間食は元来しない人間なのでそれをしろ、と言われても困る。午後売店に行って何か買って食べようと思ったが
スナック菓子はいらないし、チョコレートは疲れてないので食べる気がしない。結局マンゴージュースを買って飲むのみだった。


01/10/18

朝の発熱無し。が、今までより呼吸が苦しい。胸水が溜まり出している様子。

午後3時過ぎ、浴室で頭をシャンプーをする。一週間振りのシャンプー。終わった後の息切れが激しい。
1時間後38.5度の熱が出る。解熱剤もらって汗をかく。が、今までの熱とどうも違う。汗もあまりかかない。
2時間後に36.6度に下がる。どうもシャンプーして無理に体を動かし、肺に負担がかかって発熱した感じだ。
担当医が「定期的に発熱するのと肺に胸水が溜まるのは別の原因も考えられる」との事。
普通に寝ていても左胸に圧迫感がある。これは入院する前とよく似た同じ症状だ。

現在病室からのインターネットはDDIの64kPHS通信を使用している。最近同じDDIのAirHのサービスでつなぎ放題のコースが
始まった。これから先の事も考えて今朝Web上から申し込んだ。4.5日後には専用PHS通信機が送られてきて
PHSでの常時接続が実現する予定。32kと速度は遅いが常時はやはり魅力である。


01/10/19

今朝も発熱無し。
名古屋は本日素晴らしい天気だ。外はもう寒くなっているのだろうか?一週間以上外気に触れていない。

母親と担当医の2者会談が午後やっと実現した。担当医は「結核性胸膜炎」が病名らしいと
伝えたようだ。母親は老齢で耳も遠いので確実ではないが・・・。

その前の担当医との会話「・・・多分半年くらいの治療期間になると思います」「ずっと入院ですか?」
「いや、通院も含めての期間です。通院になっても最初の1ヶ月くらいはブラブラして仕事はせずに、
その後仕事を始めるにしても9時-5時のデスクワークで徹夜は絶対駄目です。
一度でも不規則な生活をするとそれをきっかけにして薬が効かなくなり、
もう一度最初の入院からやり直しです」・・・結核は贅沢病であり殿様病でもあるらしい。

この日の夕方も発熱は無し。後は薬が効いて来て胸水が溜まらず減っていけばOKなのだが・・・。
一週間は様子見が必要らしい。


01/10/20

今日は午後3時過ぎ、友人でんごろう氏と奥様がお見舞いに来られる。
東名を乗り継いで2時間の道程である。感謝感謝。

1時間ほど談笑したのだが、「癌の告知」の話題になった。
奥様の親族が検査入院後、家族、本人共々主治医の前に呼ばれた。その時点で家族にも病名は知らされてなかった。
その主治医は開口一番「直腸癌です。第2期から3期の間の進行癌です。手術で15cmほど切除します」
本人も家族も突然その場に凍り付いたそうな。
小生の父親の場合は、既に家族にはかかりつけの医者から肺癌の疑いが濃厚との情報があった。
本人は知らせなかった。同じように検査入院の後、本人、家族の前で主治医は
「肺癌です。抗ガン剤治療をした場合12.3ヶ月。何も治療しない場合は3ヶ月の余命です」
本人の目の前で余命まで伝えた。

インフォームドコンセント(説明と同意)が大切、と呼ばれて久しい。医師としては癌だと告知した方が治療もしやすいのだろう。
ただ本人に告知する前に家族に相談する等、患者の立場に立った患者を第一義に考えた告知が必要だと思う。

少し異なるかもしれないが今回の担当医とは別にもう一人、若い20代後半の医者も小生の身体を診断している。
肺の水抜きは彼が行った。2.3日前、彼が病名を問われて「・・・えっと、多分結核だと思いますが、
・・・胸膜炎かもしれないし、(目線をそらして)・・あと癌の可能性も少しあります・・」
おいおい、そう簡単に「癌」って言葉を出すなよ。君は医師として可能性も否定できない、
と言うことで「癌」て言葉を出したのだろうが、母親が同席してたら青くなってるぞ、もう少し言われる立場も考えろ・・・。
と、彼に伝えたかった。
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01/10/21

実は5日ほど前から毎日決まって頭痛がある。
元々偏頭痛持ちなのだが月1.2回の頻度でバッファリンを2錠飲めば30分後には収まっていた。
今回、朝夕の発熱が無くなると同時に、入れ替わる様に午前中から毎日偏頭痛が始まる。
菌が身体の弱いところを攻撃しているのだろうか?
病院で処方してくれる薬はバッファリンより弱いのか効くまで2時間ほどかかる。
しかし、逆に考えれば30分で効くバッファリンの方が不自然で身体には負担をかけているのだろう。

週末なので外泊の患者も多く、病院内は静かである。しかし医療に「休日」の概念があって良いのだろうか?
土日はレントゲン、CTスキャンもお休みだと思うが、小生が救急車で運ばれたのは10/6、土曜の未明だった。
この週は月曜日も祝日でレントゲンを撮れたのは結局火曜日である。
土曜の内にレントゲンが撮れれば胸水も判明して別の処置になったのではないか?
医療に「休日」の概念は本来の意味から考えると不必要だと思う。
が、雇用の確保とか、人件費等諸々の問題が絡んでいるのだろう。で、結論。週末の急病は避けよう。


01/10/22

担当医に呼ばれて病名が決定した。やはり「結核性胸膜炎」らしい。
今は未だ排菌(痰に結核菌が付着する)してない。薬で抑えてもいる。が、無理をするとすぐ排菌する。
そうなると薬に耐性が出来て効かなくなり大変面倒な事になる、との事。

頭痛の件、明日の午前中に頭のCTスキャンを受ける事になる。
午後に10日振りに肺に溜まった胸水を抜く。今回は150cc。色は前回と同じ黄獨色。
また結核菌の有無の検査をするらしい。担当医の話によると少しずつではあるが胸水も減って来ているらしい。


01/10/23

本日は何も動き無し。
6日間連続していた偏頭痛が今日は起きなかった。やっと薬が到達したか?
CTスキャンを午前中に撮ったがその結果は未だ来ず。問題ないと言うことか?
昨日よりAirHで32k常時接続状態である。やはりインターネットは電気ガス水道と同じ様に何時でも使える。
これこそが重要である。



01/10/24

今朝も今のところ頭痛は無し。レントゲン撮影に呼ばれる。胸水は減っているだろうか?

最初の頃病院食が美味しいと書いたが、最近は流石に飽きてきた。名古屋の味付けは基本的に濃いので
大阪風薄味好みの小生としては匂いを嗅ぐだけでムゥハッときてしまう。汁物麺類が当然だがまったく出ない。
うどんが喰いたい。東三河には「にかけ」と呼ばれるメニューがある。汁うどんに刻んだ油揚げ、ほうれん草、
板わさ数枚、その上に刻みネギと花かつおが乗っているシンプルな物だが、これを喰いたい。ぶっかけうどんも
良いがまず初めに篠崎屋か東京庵(飯村店)の「にかけ大」を注文して喰いたい!!!


01/10/25

今朝は久しぶりの頭痛で処方薬を服す。昼前にはスッキリ。午後は頭と全身シャワー。気持ちよい。
頭のCTスキャンの結果はどうなったのだろう?異常なしと言うことなのか。
この2.3日、発熱も無く、肺の圧迫感も軽減し、点滴もしないのでほとんど病人て無くなって来ている。

今日も暇だった。一日中ネットサーフィンしてた。
いい大人がそれでいいのかっ!?だって他にする事ないし仕方ないのだ。・・・と、自問自答。
明日は「あるブツ」が届く事になっている。週末はこれで時間が潰せそうだ。


01/10/26

朝から平穏な時間が過ぎている。AirHで「禁煙」関連のHPを見てまわる。

夕方社員のU嬢が東京よりお見舞い。事務所から例の物を持ってきてくれる。
婦長さんが「結核予防法国庫負担申請書」を持ってきて署名捺印する。「結核」は国が治療費を全額負担
してくれるようだ。「不幸中の幸い」なのかどうか?


01/10/28

昨日27日の土曜日。午後3時頃担当医が「調子も良さそうだから明日あたり、散歩でもしたらどうですか?」
明日の天気予報は「雨」なので今日したい、と思ったのだがその後午後4時頃看護婦さんかやって来て
「先生からさっき外泊許可が出たのでこれから外泊しますか?」と突然の朗報。
さっそく着替えて新幹線に飛び乗った。もうちょっと早く言ってくれれば良いのに・・・。

で翌28日の朝食は東三河地方定番のモーニングを食べ、昼食は待望の「にかけ大」。
そして実家で夕食を食べて病院に19時過ぎに戻って来た。
U嬢が事務所から持って来てくれた「例の物」はDVCである。
日曜日に「闘病的記録」として撮影を考えていたのだが
突然の外泊許可で中止となってしまったのだった。
この2日間調子は良かったが偏頭痛が再開。両日とも夕方に痛み出す。我慢できず処方薬を飲む。


01/10/29

本日も何も無し。昼食はカレーライス。10/12の昼食もカレーだったので、ここの病院食のサイクルは17日周期のようだ。
明日の教授会で小生の退院をどうするか話し合われるようだ。マア、今週末ですかね。


01/10/30

午後に会社のN君がお見舞い。仕事先でカンパを募って購入した時計を持参してくれる。
会社の通帳とカードを渡して今月末のギャラ振込を頼む。ノートPCでギャラ計算してN君にメールを送信する。

担当医のお話「転院する予定の病院に連絡したとの事。
これから外来での治療になるが最低で半年は覚悟して欲しい。
治療が終了しても1日12時間労働は止めた方が良い。普通この病気は5.60代で係る病気だ。
あなたの場合はよっぽど体力的に無理をしたか、あるいは菌が強力だったかで40代で発病したのだから、
これからは日々の生活をよほど気をつけないとすぐ排菌して隔離病棟行きだ、との事。」


01/10/31

午後に担当医の往診。レントゲン写真によると肺の胸水は確実に減っているらしい。有り難い。

婦長さんと退院日の調整。入院費の計算などがあるので明後日、金曜日に退院と決定する。
今日でちょうど入院20日目、トータル22日の入院となった・・・。明日を1日超えれば退院なのだっ。


01/11/01

今日はもう11月1日である。ひっそりと記録を撮る。
本日は淡々と過ごす。それでもゆっくり時間は過ぎていく。
もう幾つ寝れば・・・。古い童謡を想い出す。



01/11/03

昨日午前中に無事退院。入院費は御国の負担金計算が煩雑のため間に合わず後日に保留。
午後1時過ぎ、22日間の入院を終えて実家に戻って来たのだった・・・。


今回の入院に際して多くの方々からの励まし、お見舞いの言葉を頂きました。有り難う御座いました。
これからじっくりと療養する所存です。再び「闘病的日乗」が再開されぬ事を祈りつつ・・・。     了


PS
12月に入って入院費の請求が来た。
今回、結核予防法が適用されるので食費のみの5.6万円だろうと思ったら\174780円の請求金額。
22日間の入院費用(3割負担)として高いのか安いのか、明細を見てもよく分からない。
病院に連絡してみる。すると国の認可が下りたのが退院4日前との事。
つまり4日分の治療費のみが適用されたらしい。
入院当日まで遡るモノだと思っていたが甘かった。最初の1週間は対肺炎治療で点滴何本も打ったが
それは患者負担なのだ。その後結核の疑いが出てきて病院として病名「結核」意志決定し、
厚生省が申請書を受理して認可したその時から初めて結核予防法が適用されるらしい。上手い具合に出来ている。
計算してみるとただ3食食べてベッドで寝ているだけで1日\5900かかっている。
つまり生命保険は最低1日\6000くらい支払われるように設定すべきである。
って言うか入院しないように健康を保つのが一番ではある。

この入院を機に禁煙を決意!
禁煙的日乗



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