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極私的日乗・2010・


10/03/11
去年の11月に実家のテレビを急遽買い換えることになった。
薄型テレビの事情にはトンと疎いのでネットでまずは下調べをした。
価格コムを覗くと東芝のレグザがベスト3を占めていた。
口コミなどを読むと画質が良いのとUSBで録画用HDDを
簡単に繋げられるのが評判のようだ。
しかし何よりその低価格に驚いた。
実家のテレビは28型ブラウン管なので次は32型辺りにしようと思ったのだがその一つ上の37型で13万円台、42型だと15万円台の安さ。
一インチ一万円なんて言われた時代と比べて厭世の感だ。
更にエコポイントが付くのでさらにお得の値段となる。

結局37型のREGZA-37Z9000を購入した。
追加で7000円台のバッファロー320GHDDも買って接続してみた。コレはかなり便利だ。
パスパワーなのでテレビの電源入れればHDDも電源が入り
リモコンボタン一つてせ簡単に連ドラ予約なども出来てしまう。
DVDなどの円盤に残す必要がない、録って消しならこれで充分だ。
ちなみにエコポイント23000Pはお米券と松阪牛セット・味噌煮込みうどんに使った。

でこれを機に自室のテレビも買い換えようと思った。
今あるのは丁度4年前に26万で購入したsony製の36型ブラウン管ハイビジョンテレビ。
画質は最高なのだがもう少しデカイ画面で見たい。次は42か47型あたりか?

REGZAの55型は幾らくらいだろうかと調べてみると何と24万円台。思っていた以上に安い。
試しにヤフオクで現在使っているsony36型を調べてみると何と5〜8万円で落札されている。
sony最後のブラウン管ハイビジョンテレビと言うことでマニアには未だ人気のようだ。
4年前にNHKの技術の人にこのテレビを薦められて購入したのだがまさかこんな高値で取引されているとは。
大は小を兼ねると言うしエコポイントも付くし・・・。

そして先月の頭にREGZA-55Z9000を価格コム最安値店でエイャッとポチった。
55型なので1人での設置は無理なのだが
設置・梱包財回収を配送業者に頼むと9000円もかかる。
なのでマイミク・イク君(別名お腹の人)に飲み代奢りで自宅まで来て貰った。

36型ブラウン管は重量が96kgもありテレビ台から下に降ろすだけでも大変だった。
55型の方は液晶なので36kgの重量、二人で楽々と持ち上げて設置完了した。
やはり当然だがデカイ。しかしその画質は想像以上に良い。
液晶の場合は1ドットの大きさは変わらないので大画面になるほどに
その荒さが目立つようなのだがまったく気にならない。
逆にソースの荒さが目立ちDVDソフトを再生してみたが
荒画面でとても見られたモンじゃなかった。

それから約一週間後にヤフオクにsony36型を出品した。
最初から8万円の強気の値付けをしたのだが埼玉在住の人が8万円で落札してくれた。
エコポイントが36000P付くので55型は実質、14万円台で購入できた事になる。

4年前のクソ重たいブラウン管テレビを購入する人はどんな人だろうと落札履歴を見てみた。
どうもFスケートの淺田真央のファンらしく真央グッズ等を多数落札している。
中には「淺田真央・雑誌切り抜き写真100枚・3000円」なんて物も落札している。かなりディープなファンの方のようだ。
丁度その時は冬季オリンピックが始まったばかり。トリプルアクセルを残像のない高精細ハイビジョンで見るが為に落札されたのだろう。
世の中にはいろんな人がいるものだ。

・・・これから4年後
またテレビを買い換えようとなった時、その時のテレビ状況はどうなっているのだろう?
3Dテレビは当たり前で壁に貼り付ける超薄型テレビなんて
物が発売されているかもしれない。
ただ確かな事は
その4年後にはいくら55型の大型テレビでもオークションで8万円の値が付く事はないだろう・・・。
(写真は同ポジから撮った36と55の比較)



10/03/18
3/15に発売した文藝春秋社「CREA Due cat」に
DVD「世界遺産の猫たち」の紹介記事を掲載させてもらいました。
P89(後ろからの2P目)の「愛猫家に伝えたいニャンダフル情報館」の
No2に私のコメントと共に載っています。

お暇な方は本屋立ち読みにて一読を。



10/03/21
小田急線踏破

2010年3月17日
9:36
小田急線「新宿」駅前にてGPS受信開始。
sonyの最近発売されたポータブルカーナビU-35は
自転車や徒歩のナビにも対応している優れ物だ。
9:56
西新宿7丁目のアパート前到着
ちょうど30年前、初めて東京に出てきて住んだアパート。
未だ現存していた。二階の角部屋四畳半で家賃は1万2千円だったか。
引越して来た翌朝に下に住む大家さんがハムエッグの朝食をご馳走してくれた。
当時50代くらいだったかの夫婦で高校1年くらいの娘さんが居ていつも大声で喧嘩していた。洗濯物から察するに今は赤ちゃんが居るようだ。あの娘さんの子供だろうか?
10;25
「南新宿」到着
二週間ほど東映セントラル映画の撮影見習いをしたのだがそれ一本で挫折、
その後歌舞伎町の洋ピン専門映画館でバイトを始めた。

その映画館は噴水前のゲーセンビルの6階にあった。
もう時効だと思うが当時の入場料は千円でチケットは自動販売機で購入、入り口でモギリをして半券を手渡していた。パートおばさんが二人シフトでモギリと売店で働いていてその他は大学生のバイト二人くらいで回していた。
支配人は当然社員なのだが同じビルの下の階に事務所があるのでよく留守をする。
するとモギリをしていたおばさんは自販機でチケットを買おうとする客に「今機械が壊れているのでこっちで頂きます」と言って入場代金千円を直接貰い客には半券を渡して入場させ始める。
勿論自販機は壊れてはいない。支配人が戻ってくるまでだいたい10分前後、4,5人の客を入れて小遣い稼ぎをしていた。おばさんや他のバイトとの間には暗黙の了解があって自分がモギリのシフトになるとみんな実行していた。
年末最後のバイト、私も当然実行して実家までの新幹線交通費と弁当代まで稼いだ。

10:58
「参宮橋」到着
その時にバイトしていた大学生から聞いた話だが
吉野家の牛丼店で深夜専門でバイトしていたある強者は
自分で買った米と玉葱を店に持ち込んで調理、つまり一晩で50杯売れたとした場合その内の20杯は自分の米と玉葱で調理して売上をゴマカす訳だ。結局1年のバイトで100万貯めて世界一周旅行に旅立ったそうだ。
食材をPC管理して監視カメラが常時作動している今はもう不可能だが
30年前はマアそんな話がチラホラはあった。

11:24
「代々木八幡」到着
ここは2年前まで住んでいた部屋の最寄り駅。
今も仕事の時は利用しているので特段の感慨はない。

11:40
「代々木上原」到着
この駅南口にある丸正スーパの入ったビルの4階に3年間ほど通った西堀歯科がある。
ここの先生の治療や指導はホント有り難かった。
その前は渋谷のハンズ向かいにあるアート歯科院だったが今思えばヤブ、だったと断言できる。
詰めた物はすぐに取れるしまたすぐに抜きたがる。治療完了した奥歯がまた痛み出したのでネットで調べた評判の良い西堀歯科に駆け込んだ。
開いた口から歯を調べて「・・・いったい前はどこの歯医者に通ってたんですか?」と驚かれるほど中途半端な治療だったらしい。
それからトータル1年ほど通ってやっと全て完治、その後の定期検診でも歯の磨き方などを丁寧に教えてもらった。

11:59
「東北沢」到着
今現在は実家近くの歯医者で定期検診しているが
初めて診察したときに看護師のおばさんが「歯の磨き方は完璧ですよ」と褒められた。
この年になっても褒められるのは良い気持ちだ。
今は勿論朝晩の歯磨きは欠かせない。夜の就寝前には糸楊枝と歯間ブラシも使って丁寧に磨いている。

12:15
「下北沢」到着
下北には大学時代の仲間が住んでいたり芝居の撮影をしたりと飲み屋も含めて幾度となく訪れている。

12:24
松屋にて昼食
100円引きの生姜焼き定食\480を食す。

12:40
松屋を出発

12:58
「世田谷代田」到着
西新宿のアパートは1年くらいしか住まなかった。
その後いわゆる「都落ち」して実家に戻りさらにその数ヶ月後に大阪へ。
大学時代の後輩の部屋を間借りて自主映画を作ろうとしたがまたもや挫折。
難波の風呂屋のボイラーマンとして数ヶ月住み込み生活をする。

13:12
「梅ヶ丘」到着
それなりにオイシイ事もあったが半年後くらいにボイラーマン辞めて
大阪を引き払い再度上京、今度は小田急線の登戸に住み始めた。

13:22
「豪徳寺」到着
すでに東京でピンク映画の撮影助手をしていた知り合いを頼って再び映画の現場で働きだした。
当時は中村幻児監督の作品によく付いていた。
ピンク映画はだいたい予算300万で撮影日数は4〜5日。
登戸から始発近くの電車で新宿西口に集合、帰りは終電で帰る日々が続く。

13:40
「経堂」到着
15分休憩。さすがに足が疲れてきた。

13:55
「経堂」出発
当時の中村組の男優として常連だったのが現在個性俳優として有名な大杉蓮さんだ。
大杉さんは当時確か経堂に住んでいて現場が終わって帰りの電車はいつも一緒に帰った。
大杉さんは当時アングラ舞台を中心に活動していたのだがピンク映画という日陰的な現場でも分け隔てなく出演されていた。スタッフや女優さんからもとても慕われていた。
とてもダンディーなお方で電車内ではいつもスポーツ新聞を読んでいたのを憶えている。

13:18
「千歳船橋」到着
14:40
「祖師ヶ谷大蔵」到着
15:00
「成城学園前」到着
15:20
「喜多見」到着。
本日の踏破終了。

トータル
5時間32分
16.4km



10/03/28
小田急線踏破2

2010年3月18日

11:20
「喜多見」駅前出発

11:35
「狛江」到着

11:46
「和泉多摩川」到着

12:04
「登戸」到着
登戸は再度東京に上京したときに住んでいた町。
駅自体は改築されていたが入り口そばのパチンコ屋はまだ健在。
昔スリーセブンで大儲けしたことが一度だけある。
近くの吉野家にて牛丼セット500円で昼食。

12:23
吉野家を出発。
南武線に沿った道を歩いて昔のアパートへ向かう。
当時この道で映画のロケ隊と遭遇した事がある。
たのきんトリオ(?)だったかの近藤真彦マッチが走るシーンを撮影していた。
テレビの人気者が居るのに見物人や野次馬は皆無で、
マッチは意外と人気無いのかと思った。かなり早朝の時間ではあったのだが・・・。

12:38
登戸アパート前到着。
すでに以前住んでいた木造アパートは取り壊されて新しい鉄骨マンションが建っていた。
当時の間取りは小さな台所と三畳・六畳の二間付きだった。
左隣が若い姉ちゃんで上が同棲カップル、右隣はオバサンの大家さんだった。
上階からは頻繁に毎夜艶めかしい声が聞こえてきていた。

再びの撮影助手の仕事も一年少しでまた挫折、
短期バイトしり親から仕送りして貰ったりで食いつないだ。
毎日曜日に都内の浜松町のホテルで結婚式ビデオのバイトをしていた。
集合時間は朝8時前だったので前夜はいつも完徹して出掛けた。
午前から午後にかけて3組、4組の結婚式を8ミリカメラで撮影した。
仕事が終わると毎回駅近くの持ち帰り寿司屋で握りパックを買い
ビール飲みながらパクついて寝てしまうのが決まりだった。
多くの結婚式を撮影したが交通遺児同士の結婚式が印象に残っている。
他の式と比べて出席者も少なく華やかさはなかったがしみじみとした良い式だった。
あのカップルはその後シアワセに過ごしているのだろうか・・・。

12:54
「向ヶ丘遊園」到着
そんな日々の中、大学時代に大阪NHKでバイトしている時に知り合ったディレクター氏が渋谷のNHKに転勤となったので訪ねた。丁度そのディレクター氏はNHK特集「兜町」の取材をしていて、編集に入ったら助手の仕事をしないかと誘われた。当時はまだフィルム編集で手間暇がかかった。期間は一ヶ月くらいだったか。
それをキッカケにして糸井重里氏が司会した「YOU」とかのバイトもやるようになっていった。

13:26
「生田」到着
その頃になると大学の後輩達が大挙して東京へ移り住んできて
この登戸のアパートに集結して朝まで飲んだり麻雀したりする機会が増えていった。
隣の大家さんはさぞ眠れなかった事だろう。
ある日帰宅すると大家からメモが残っていて隣を訪ねてみると、
このアパートを潰しす事になったから来月中に退去して欲しいと告げられた。
つまりはうるさいから出て行け、と言うことであった。
今思えばそう言われるのも当然だと納得できるほど騒いでいた。

登戸にはトータル二年ほど住んだだろうか。
次は吉祥寺へと移り住むこととなる。

13:51
「読売ランド前」到着
14:18
「百合ヶ丘」到着

14:35
「新百合ヶ丘」到着
本日の踏破終了。

トータル
3時間17分
12.8km


10/04/03
実家に戻るときは東海道線を使っているのだが
毎回朝9:08発の小田急線に乗車して小田原でJRに乗換て静岡に到着するのが11:50の昼食時となる。

最初の頃は昼食は駅近くの飲食店で食べたり駅ビル内で弁当買って食べたりして12:22発の電車に乗っていた。この電車は興津発の3両編成なので椅子に座れる可能性は低い。次の乗換駅である浜松までの1時間14分は立っていることが多かった。

ある時いつもと同じように駅ビルで弁当を購入、天気が良かったので発車ホームの長椅子に座って弁当を食べはじめた。丁度いつも乗る12:32発のひとつ前、12:03発の電車が発車するところだった。なにげに眺めているとこの電車6両編成なのだ。目で追うと最後尾の車両などは乗客少なくガラガラだった。

それ以来実家に帰る朝はおにぎりを握ることとなった。
いつものように静岡に11:50に到着、駅ビルで唐揚げなどの総菜パックを買って12:03発の6両編成浜松行きに乗り込む。最後尾の車内はガラガラ。電車発車するとおもむろにおにぎりと総菜で車内昼食となる。

車内では煙草や携帯は駄目だが飲食は禁止していない。東海道線各駅には駅弁を売っているのだから当然だろう。さすがに長椅子車両なので駅弁ひろげて食うのはためらうがおにぎりならマア大丈夫である。

しかし車両運用の都合なのだろうが12:03発という客の少ない昼食時に6両編成を走らせるこのスケジュール、どうかなくならないで欲しいと切に願う。



10/04/19
小田急線踏破3
2010年3月30日

08:31
「新百合ヶ丘」駅前出発。

新百合ヶ丘駅の開業は今から36年前の1974年(昭和49年)である。
その11年前、1963年に東京都は多摩ニュータウンを建設する計画を立案、それに伴い小田急電鉄と京王電鉄に対してニュータウン鉄道として新線の建設を要請した。
小田急は当初、既存駅である百合ヶ丘駅から分岐して現在の「多摩センター駅」に至るルートを検討したが、
百合ヶ丘付近にはS字カーブがあり輸送のネックが生ずることが予想されたことから、
その途中に分岐駅となる新百合ヶ丘駅を設置する事となって誕生した駅である。

09:07
「柿生」到着
現在新百合ヶ丘駅から徒歩7分の距離に建っているUR賃貸「サンラフレ百合ヶ丘」。
こう呼ばれる前ここは「百合ヶ丘第一団地」と呼ばれていた。
「百合ヶ丘第一団地」は高度成長期の真っ只中の1960年3月に入居を開始した。
去年の年末にスカパー!で見た東宝駅前シリーズの第2弾「喜劇駅前団地」。
1961年8月に公開されたこの映画の舞台は未だ造成中が残る百合ヶ丘第一団地である。
戦後の農地改革による余波で混乱する地主たちの姿を面白可笑しく描いていた。

09:42
「鶴川」到着

百合ヶ丘という地域は60年代、日本が高度成長を迎える時期にあたって都市部の周辺地域に大規模な集合住宅群が開発され始めたその第1号となった地域である。
百合丘という地名の成立には2つの説があり、一つはこの地の団地造成に100余人の地主たちが合意した、つまり百が合わさって百合という説。
もう一つはこの団地が日本住宅公団大型団地の第1号であり、それを祝して県花の「山百合」から名付けたという説がある。

10:49
「玉川学園前」到着
11:33
次の駅である町田の繁華街に近づいた。
この商店街に続く踏切を横断すればすぐ駅だ。
線路が交差した踏切でかなり通行人が多い。渡りきった左手に警官が立っていた。無理な横断等を監視しているのだろうと思った。
その警官を過ぎて先に進んだところで、突然右手から若い警官が近寄って来た。
「ちょっよろしいですか?」
「?・・はい」
「最近町田駅周辺では発砲事件が相次いでおりまして監視強化をしているのですが
お手数ですがバックの中を見せてもらえないでしょうか?」
何と職務質問を受けてしまった。
ノリピーの旦那とかJay-Warkのボーカルのオッサンも路上での職質で逮捕されているのだ。
別に目をそらした訳でもないのだが・・・。ここで拒否したら公務執行妨害で現行犯逮捕だ。
「どうぞどうぞ」と自ら進んでバックを開けて中を見せた。
勿論の事、大麻草とかの葉っぱは入っていないしパンツの中に白い粉も隠してはいない。
全てのチャックを開けられて中を確認させられた。
「・・最近はアーミーナイフとか持っているだけでもマズイのでお気を付け下さい」
とか注意されて無罪放免となった。

・・・しかし何で職質されたのだろう?
昔は髭を生やしていたので人相は悪かったが今は剃っているし身なりも普通だと思う。
確かに平日の真っ昼間に中年男がキャップを被りブラブラ歩いている姿は
真っ当な会社勤めには見られないだろうが・・・。
バックがいけなかったのだろうか?
斜めかけリュックを背中でなく手前の腹側に回してGPSの電波を受信するためにチャックを開けて歩いていたのだ。
そこに飛び出しナイフでも潜ませていたと思われたのかもしれない。
しかし生まれて初めての職質。まったくの心外な出来事だった・・・。

11:37
「町田」到着
11:46
CoCo一番にて昼食。
あさりトマトカレー大盛り2辛で\870。
12:10
CoCo一番出発

12:44
「相模大野」到着
13:38
「小田急相模原」到着
ここらあたりからGPSのバッテリー切れの警告が出だす。

14:03
小田急相模原と相武台のほぼ真ん中でバッテリー切れとなる。
5時間くらいしかバッテリーは保たないようだ。

14:18
「相武台」到着
本日の踏破終了。
次回は一つ前の駅、小田急相模原から出発しよう。


21.29km
5時間47分


10/06/18
人は生涯で表題のように思う一瞬は何度あるのだろう?
先週の週末、実家に帰郷中の出来事はその数少ない「一瞬」だった。

夕食後
二階の自室に戻りデスクトップの電源を入れた。
立ち上がるのを待つ間に焼酎の烏龍茶割りを作りはじめる。
いつもと何ら変わらない日常の一コマである。
モニターにWinのロゴが立ち上がり出来た焼酎の烏龍茶割を一口
ゴクリ

ブハァッ!
ゲェェェェェ!!!

一口含んだ焼酎を全て吐き出してしまった。
吐き出す前の一瞬、
そのままの姿勢だとキーボードがずぶ濡れになるので
机の下側に吐き出すために首を垂れたのを記憶している。

その次の動作は、
普通は
「咳き込み」なのだが

何と息が出来ない。

!!!!!!!!!!!!!

息を吸おうと思っても気道が塞がれているのか呼吸が出来ないのだ。
吐くことも吸う事も出来ない。
声も出せずにパニックに陥る。

「いったいどうしたんだぁぁぁぁ!!!」(心の声)

息が出来ないままに階下へ駆け下りて母親の居る台所へ。
しかし丁度母親はトイレに入っているようで不在。
なおも息は出来ずに胸を叩いたりするのだが・・・
「死」
を一瞬意識する。
このまま呼吸できないと死んでしまう。

母親がトイレから慌てて出てきたあたりから呼吸が復活し出した、ようだ(パニってて憶えていない)
・・・やっと肺に息が行き渡り始めて、荒い息の中、心配する母親に、未だ声は出ないので、指で「OK」の表示を指し示す。

・・死ぬかと思った。
呼吸は2分止まると脳に血流が流れずに意識が遠のき、死に至るそうだ。
いわゆる「窒息死」だ。
今回1分強、呼吸は止まっていた。


そんで本日耳鼻咽喉科へ行って来た。
鼻から内視鏡を入れたあと
「喉にポリープなどは無い、一過性の症状だろうね、酒を控えた方が良いよ、加齢が原因の嚥下障害の一種かな・・・」

逆流製食道炎の疑いも少し残ってるから来週胃カメラをすることにした。
20年振りの胃カメラを飲むことになる。

休肝日を設けないといけないな・・・そう出来るかどうかは別として・・・ね。


10/07/28
小田急線踏破4.5.6.

2010年5月12日

14:44
「小田急相模原」駅前出発。

15:19
「相武台前」通過
16:03
「座間」通過
16:53
「海老名」到着
9.80km
2時間08分
--------------------------------------------
2010年6月1日

14:05
「海老名」出発

14:45
「厚木」通過
「厚木駅」は現在小田急・JR相模線・相模鉄道の三路線が乗り入れている。
厚木駅の所在地は実は厚木市ではなく海老名市である。
行政区的には相模川をはさんで東が海老名市、西が厚木市となっている。
厚木の次の駅、相模川を渡った最初の駅が本厚木駅でここが厚木市のメイン駅となっている。どうして「厚木」と「本厚木」の二つに分かれているのか?

ウィキペディアによると

1926年(大正15年)、 相模鉄道の厚木駅が開業。
厚木町(現・厚木市)まで延伸することを前提に、
駅のなかった厚木町の承諾を得て「厚木」と付けられた。
1941年(昭和16年)小田急が相模川の西側に相模厚木駅を開業。
1944年(昭和19年) 6月、本厚木駅に改称。

つまりは厚木が未だ市でなく町の頃に延伸前提で名付けられた駅名のようだ。
その後発展して市になってしまったので仕方なく
「本当」の「厚木」駅として「本厚木」となったようだ。

さらにウィキペディアによると
神奈川県鉄道輸送力増強促進会議は、2006年度の小田急電鉄向け要望書にて、海老名市にあるにもかかわらず当駅が「厚木駅」と名乗っていることから駅名の改称を要望してるが小田急電鉄は「駅名変更計画は、現在のところない」としているようだ。

関東圏外から厚木を訪れる人が間違って「厚木駅」で下車してしまう事例も多いと聞く。
ややこしいので本来なら改称すべきだろうと思われる。

15:09
「本厚木」到着
渋谷から厚木に引っ越して約2年半経つ。
和泉多摩川や生田周辺の不動産屋巡りしていたのがつい昨日のようだ。
交通至便ではあるが狭い渋谷のワンルーム部屋と比べると
今の厚木での住居環境にはほぼ満足している。

住んでいる部屋は鉄筋コンクリート。
以前住んでいた埼玉のマンションも同じく鉄筋だったが
それと比べても隣や上階からの物音がほとんど聞こえない。
1982年施工でかなり古いのだがバブル前の建築だからか
手抜き無く壁のコンクリートが分厚いので騒音を遮蔽しているのだと思う。

また周辺環境も少し歩けば田園風景が拡がり散歩も心地良い。
市役所や税務署、郵便局も徒歩で行けるし
チェーン店も含めて食い物屋の種類も充実している。
中でもホルモン焼きの酔笑苑という店を知ったのは大きい。
カウンターで自分専用の七輪でゆったりと肉を焼いて酒を飲める。
いわゆる1人焼肉が出来るのだ。
この店を知っただけでも本厚木に引っ越した甲斐があったってもんだ。

5.49km
1時間07分
---------------------------------------------
2010年6月2日

13:07
「本厚木」駅前出発

13時42分、
恩曽川の支流である玉川に突き当たった。
100mほど左に橋が架かっている。しかし100mの移動が面倒くさい。
丁度正面の川にはコンクリートの凸凹の堰が作られている。
何とか渡れるだろうと思い正面突破しようと川辺におりた。

慎重に突き出たコンクリートの突起の上に足を運ぶ。
ソロリ、ソロリ・・・

ズルッ!、アギャ!

思った通り・・・案の定・・・足が滑って川に落ちる。

ズポッ!

左半身が川に落ちてスプ濡れとなる。

まさか大丈夫だと思ったが案の定こうなってしまった・・・。

100m横の橋まで歩くのを横着したばかりに・・・自業自得、である。

幸い天候も良いので歩いていく内に乾くだろう。

14:02
「愛甲石田」通過
15:18
「伊勢原」到着
9.37lm
2時間11分
盛夏の期間は踏破休止。秋口に再開予定。


10/09/02
7月に胃カメラを飲んだ。
これで二度目なのだが最初はもう20年くらい前、バブル真っ盛りの頃だった。
当時は公共放送のNHK局内でもみんなバブルに浮かれていた。
BSの衛星放送が開始され、二個目の衛星が打ち上げ成功してこれから番組がドッと増える公算大。兎に角人手が足りない、誰でも良いから人を紹介してくれと元請けの社長から懇願されていた。

ちょうど大学の後輩が二人、大阪でプータローしていたので「東京来たらナンボでも仕事あるぞ」と誘って東京へ呼び寄せた。
当時は吉祥寺の四畳半から新座の3LDKマンションに引っ越したばかり。
ひとまず住居は確保出来るということでさっそく二人が上京してきた。
と言ってもすぐに仕事は務まらないので見習い期間として助手の仕事から始まった。
仕事は忙しく毎日タクシーで未明に帰宅、そして三人で酒盛りの毎日だった。
当時は焼酎でなくウヰスキーを飲んでいたからか、ある日黒便が出た。吃驚した。胃ガンかも!?慌てて病院へ行くと、即胃カメラを飲めと強制された。嘔吐感もさることながらゲップが頻繁に出た。
「ゲップ我慢しないといつまで経っても終わらないぞ!」と医者に脅されて涙流しながら我慢。結果、軽い胃炎との診断だった。

あれから20年、再びの胃カメラとなった。
先々月の6月に酒を飲もうとして吐き出してしまい呼吸が出来なくなった時、医師から「逆流性胃炎」の可能性も疑われるとのことで検査することとなったのだ。
今回ゲップはまったく出なかった。胃の動きを抑制する注射が効いたのだろうか。
20年経って胃カメラ自体も随分細くなったはずだがやはり嘔吐感だけは何度かやってきた。
結果は異常なし、だった。

後日医者との診察で自分の胃のカラー写真を見て、何と旨そうなミノだろうかと思ってしまった。人肉食いは法律に触れるが自身の臓器はどうなのだろうか?
将来胃ガンとかになって胃を切除しなければならなくなった時、癌化していない所を貰い受け七輪で焼いて味噌だれで食べてみてもいいかなと変態思考してしまった。

そして今月、今度は大腸カメラを受けた。
以前から1.2週間に一度くらいの頻度で黒便らしき排便があるのだ。
イカ墨スパを食べた翌日は黒便になるのは当然だがそんな頻繁に食べてないし・・・。
胃カメラでは異状なかったのでこの大腸でも異状なしとなったら一安心できるってのもある。

大腸カメラは胃カメラより楽だと聞いていたのだがトンでもなかった。
当日の朝から2Lの下剤を飲むのだがこれはかなり楽だった。下痢での便通とは異なり、小便を勢いよく放出する快感と通じる物がある。
そして肛門から内視鏡を挿入するのも痛みもなくスルリと入ってしまった。ロスト・アナル、である。問題はこの後で、腸の奥へと内視鏡を移動させるために空気を入れ腸を膨らませて進むわけなのだが、これがお腹が爆発するんではないかと思うほど辛いのだ。痛いとかではなく腹の膨張感がトンでもなく辛い。
約15分くらいだろうか、途中何度もうめき声を上げてやっと最深部へ到達。
すると体を上向きにして両膝を立てて足を組まされる。今度は内視鏡を抜きながらゆっくりと腸内を観察していく。何かその恰好、ベットの上で足組んで、でも肛門から内視鏡の筒が出ている姿を客観的に見たら笑ってしまうだろう。
結局腸も異常なし、だった。

後日また医者の診察があって今度は腸内のカラー写真を見て旨そうなシロ、と再びの変態思考した。医者が言うには血液検査の結果を見ても内出血している証拠はまったく見当たらない。海苔を大量に食べたりすると黒便になる事もあると言っていたのが、確かに海苔は一枚分食べたりするのでそれが原因かもしれない・・・。

今回口から咽頭、食道、胃、大腸から直腸、肛門まで小腸を覗き内視鏡カメラが挿入された事となった。来年も検査を受けよう。

何か内視鏡フェチというか贓物フェチになりそうな自分がこわい・・・。




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