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「浪人街・予告篇」



1976年夏製作(原盤:スーパー8・カラー) 52分

★出演★
竹中労、中島貞夫、マキノ雅弘、高岩淡、千葉真一、深作欣二、赤塚滋他

76年当時、映画雑誌「キネマ旬報」誌上でルポライター竹中労氏が連載していた「日本映画縦断」
の中から昭和3年に製作された時代劇「浪人街」の再映画化の動きが高まりました。
当時大学1年生だった私は学校の教授で京都在住の映画評論家である滝沢一氏の紹介で
東映京都撮影所で再映画化に関してのドキュメンタリーを撮影する事が出来ました。
今となっては故人になられた方々も多く、資料的な見地も含めて全編upする事にしました。

改めて多くの方々のご協力に感謝致します。  

  YouTube  

★35年以上前の作品ですので音が劣悪です。その点を御了承下さい★

浪人街(第一話 美しき獲物)
監督:マキノ正博
脚本:山上伊太郎
撮影:三木稔
出演:南光明 大林梅子 谷崎十郎

<1928年度キネマ旬報 ベスト1>



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深作欣二監督が03年1月12日午前1時、逝去されました
ご冥福を心からお祈り致します

☆ 飢餓感  胸に映画と格闘 ☆    日経新聞2003年1月15日 菅原文太

深作欣二監督とは「県警対組織暴力」(一九七五年)を最後に撮って以来、ほとんど三十年近く、
仕事の現場をともにすることはなくなっていた。
心身ともに 格闘技とも言えるような戦いを、お互いが数年にわたって続けてきた疲れと、
倦む気持が溜まっていたせいなのかもしれない。

<互いの感性共鳴>

十本に満たない作品を通して続いた二人の濃密一な共同作業は、
振り返れ,ば五年足らずの短いものであった。
ヒット作品という魔法の言葉にムチ打たれる ようにして、しゃにむに走り続けた時間でもあった。
十年続いた任侠映画の幕引きとして登場した実録ヤクザ路線が、一瞬の光芒を放って消えたのは、
ひと夜 の花火のように終えることを時代が望んだのか、映画界自らの手で葬り去ったのか、
今でも判然としない。戦後の日本を映画の中で問おうとした空間が、
経済 の急激な高揚とともにこの国から無くなってしまったかのようであった。
初めてサクさんと出会ったのは七二年、「現代やくざ人斬(き)り与太」に主演した 時だった。
まるで響き合う鐘のように互いの感性が共鳴したことを覚えている。
六七年に松竹から移籍してきた私は、船に乗り遅れた水夫の気分だった。
サクさんも異色の戦争映画「軍旗はためく下に」を撮って注目されてはいたが、
撮影所の中を歩いている姿は、強い風に向って届かない咆哮をあげる
一匹の飢えた獣のようであった。このままでは先が見えないというもやもやした飢餓感。
それ がお互いに響き合ったのだるつ。その後の作品は、
まるで獲物に襲いかかるように取り組んでいった。
そうして生まれたのが二人の代表作となった「仁義なき 戦い」シリーズ(七三-七四年)だった。

<現場には高揚感>

撮影現場のサクさんとは、いつも気持の上で取っ組み合いのけんかをしていた。
具体的な演じ方については注文をつけず、自由に泳がせてくれる。
その代わ り、もっとないか、それだけか、とくたくたになるまで演技の可能性を求めてくる。
「バカヤロー、それじゃだめだ」と怒鳴るだけで、どうしろとは言わない。
追いつめられても誰一人悲鳴をあげたことはなかった。
人間には極限まで行って初めて湧いてくる力がある。
その瞬間を見定めてサクさんは「よーい、ス タート」の掛け声をかける。
深化組の現場に充満する高揚した空気は、独特のものだった。右を向いて役者を叱っていたかと思うと、
左を向いて小道具に指示 を出す。助監督より早く照明係のところへすっ飛んでいく。
監督が発する熱気にあてられて、いつしか全員がそのペースに巻き込まれていた。
役者にもむちゃ なアクションの注文が飛ぶ。「県警対組織暴力」では、私の演じる刑事後が、
刈谷拓三のチンピラ役をいたぶる場面があった。拓ボンは裸にされてガラスの中 に突っ込まれる。
一歩間違えば大けがをしかねない。「拓ボン、できるか。どうや」とサクさんが声をかける。
「やらして下さい。これやらなんだらワシは出世できへん」と拓ボンが返す。
さすがに心配になり「おい、ホントに大丈夫か」と声をかけたが
「思い切って蹴り上げて下さ い」とどなり返された。
力いっぱいガラスに突っ込み、しかも本当に傷一つ作らなかった。
拓ボンの気合以外のなにものでもなかった。
誰に対しても上下の差 をつけないサクさんの生き方、姿勢というものが、
比類の無い熱気と現場のチームワークを作り出していた。
役者を見いだす眼力にも神懸かり的なものがあっ た。刈谷拓三、室田日出男ら、
サクさんが世に出した俳優は数え切れない。室田などは酒癖が悪く、けんかばかりしていたが、
面白いヤツだと引っ張ってきて 個性を花開かせた。

<闘将の面影薄れ>

最後に会話を交わしたのは昨年の六月、室田の葬儀だった。
「おれ、もうだめなんだよ、癌なんだ」と向こうから打ち明けてきた。
「大丈夫か」と尋ねると一 うんうん、大丈夫だよ」と書う。すでに達観した表情だった。
実録ヤクザ映画の終えんとともにサクさんと別れて以来、どこで会っても「やあ」とか「元気 か」と
言葉を掛けるだけで、お互いのことを問い合うことは無かった。それが二人の友情と仁義でもあった。
室田の葬儀の時も、それ以上の言葉は無かった が、闘将の面影も薄れ、
髪だけでなく心の中まで漂白されたようにすっきりとした透明感があった。
十二日未明の臨終の時、「サクさん、サクさん」と耳元で 呼びかけると、
「おおっ」と一瞬呼吸が高まったように見えた。
あるいはわかってくれたのだろうか。最後は、夫人の中原早苗さんに手を握られて息を引き 取った。
事を成し遂げた数百歳の翁の顔に変っていくように見えた。
倒れるまで映画の現場に立てる監督などめったにいない。本望だったはずだ。 
                                                                                                        (すがわら・ぶんだ 俳優)

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