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高倉健の映画



ジャコ萬と鉄
 ★★
1964年(昭39)2月8日公開/東映東京/99分/
モノクロ/シネマスコープ
 
製作 関政次郎 脚本 黒澤明
谷口千吉
 監督 深作欣二
撮影 坪井誠 音楽 佐藤勝  美術 進藤照男
出演-高倉健・丹波哲郎・山形勲・南田洋子・大坂志郎・江原真二郎・高千穂ひづる・入江若葉・浦辺粂子


高倉健33歳での主演映画。

当時の15年前、昭和24年に公開された東宝映画「ジャコ万と鉄」の再映画化。
主演は三船敏郎と月形龍之介、進藤英太郎。
脚本は同じ黒澤明と谷口千吉。当時の台本をそのまま使ったと思われる。

どういう経緯で再映画化となったのかは分からないが、構成がしっかりしているのでかなり面白く見れた。
隻眼の丹波哲郎と親分山形勲の確執。そこに絡んでくる息子の高倉健と高千穂ひづる。
婿の大坂志郎と娘の南田洋子。すべて適役で見ていて気持ち良い。

ラスト近くのニシン漁の特撮も良く出来ている。クレジットはないが上村貞夫だろう。
ただ実際のニシン漁はニシンのアップばかりで迫力は今ひとつ。

高倉健は風来坊的なモチーフを醸し出して、様になっている。どこか三船敏郎風、用心棒風ではあるが。
南洋踊りを踊る姿がまた絶品。高倉のこのような一面を引き出したのは深作監督の手柄だろう。
入江若葉のラストのドンデンも含めて娯楽映画としては見事な水準。

後年を考えれば、深作監督と高倉健はあまり馬が合わなかったようだが、
この映画の高倉健は生き生きと描かれている。


以下Wikiより転載

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高倉健主演・深作欣二監督による東映東京撮影所作品。ロケ地は積丹半島の島武意海岸。

珍しい高倉健自身の企画。1949年の東宝版を封切り時に観て、興奮して夜も眠れなかったという高倉が、当時の東映東京撮影所所長・岡田茂に「やらせて下さい」と頼み込み、岡田は「1964年は高倉を一億円スタアに仕立てる」と宣言していたことから、高倉を1964年の東映看板スタアとしての決定打とするべく製作がを決めた。

高倉と丹波哲郎がヤンシュ(ヤン衆)(出稼ぎの荒くれ男たち)を演じる。「ギャング路線」などの成功で意気上がる東映東京撮影所が男性映画の決定版をいかにこなすかが注目された。

映画化が決まると高倉健は東宝撮影所に三船敏郎に挨拶に出向いた。たまたま一人で部屋にいた三船は、高倉の訪問に立って歓迎し、お茶を入れてくれた。元々、三船のファンだった高倉はすっかり感激し、以後三船を尊敬するようになった。

独特の存在感を示し始めてブレイク直前の高倉だったが、それまでの年嵩の監督から個性を伸ばすように育てられてきた高倉にとって同学年の深作欣二とは合わなかった。鋳型にはめ込む深作演出は窮屈で仕方なく、高倉はプロデューサーの吉田達に「押し付ける演出はもう嫌だ」としきりに漏らした。深作も撮影終了後、周囲に「あんな下手な役者は二度と使わない」とこぼした。
このため高倉と深作の組み合わせは、本作を含め『狼と豚と人間』と高倉が特別出演した『カミカゼ野郎 真昼の決斗』の計三本である。降旗康男は「『仁義なき戦い』も最初主演は健さんだったんですよ。俊藤浩滋さんから『健ちゃん、あないなもの出たらあかんで』と言われたんです。健さんが出演を思いとどまったあと一つの理由は、深作さんとあまり反りが合わなかったからなんです。作さんも『健さんじゃあ』との思いがあり、作さんは俊藤さんとも合わなかったし、結果的に(『仁義なき戦い』に関しては)良かったのではと思います」などと述べている。

撮影は1963年12月1日から20日まで、積丹半島の島武意海岸でロケが行われた。
当地は夏は札幌方面から釣りや海水浴客が押し寄せ賑わうが、冬は寂しい漁村と化す。この地へ東映の撮影隊一行80人という時ならぬ珍客に入舸町では「歓迎・東映ロケ隊」の幟を押し立てて町を挙げて大歓迎した。連日、ホッケ等、海の幸が食卓に並ぶ手厚いもてなしを受けたが、高倉は魚が嫌いでイカ刺しぐらいしか食べれず、すき焼きが恋しかったという。
ロケは入舸町から岩山を越した島武意海岸。ニシンは捕れる単位を一石、二石と呼んだが、当地はかつて「千石漁場」と云われ、広い海岸がニシンで埋まり、一夜にして数千万の儲けを生んだ北海道でも有数の漁場だった。1953年頃からパッタリニシンが来なくなると朽ち果て昔日の面影はなかった。荒れ果てた鰊番屋や、ニシンをトロッコで運ぶために掘ったトンネルを4000万円かけて改修するなどして撮影した。通常の天気待ちは晴天であるが、本作は極寒の北の海の荒涼としたアジを出すため、オホーツク海の波濤が荒れるときを選び撮影した。

前作で鐵を演じた三船敏郎は、下半身はペンギンと呼ばれるゴムつなぎを着て、上半身は裸だったが、ロケの前の晩に高倉が「いい映画が出来るなら、自分はフンドシ一丁でやるよ」と啖呵を切って引っ込みがつかなくなった。漁師は全身にグリースを塗って海に入るが、高倉はまわりに『死ぬぞ』と忠告されながら無造作にマイナス16度の海に飛び込んだ。すぐに引き揚げてもらったがゲエゲエ戻し、3日間寝こみ死にかけた。

後日譚
1994年秋、高倉主演の『四十七人の刺客』封切の前日に吉祥寺バウスシアターで「健さん片想いの会」が上映会を開いた。
上映作はメンバーによるアンケートで本作が決まった。参加メンバーにサプライズな贈り物が出来ないかと考えた谷充代が、高倉に「何かメッセージを頂けないでしょうか」と手紙を書いたら、高倉から厚手の封筒が送られて来て、中には高倉自作のテープが入っていて、ギター曲をバックに高倉の肉声で、先のフンドシ一丁で海に飛び込んだ想い出などが語られた。高倉も本作はとても思い入れのある作品と話し、本作を撮る辺りから映画に本腰を入れて取り組むようになったという。同テープは上映会で流された。  

作品の評価
由原木七朗(東京新聞文化部)と小山耕二路(近代映画編集長)は、「健さんは長い間、大根役者みたいに言われて来たけど、この作品では生き生きしている。健さんも立派な役者になったと思う。回りを固める南田洋子、大坂志郎、山形勲。みんないいね。いい意味で連鎖反応がこの作品に出ている。大坂さんなど日活でやると少々臭い芸になるが、ここではそれがなかったものね。山形さんは臭い芝居の方がいいんだ。監督の深作欣二も、単なるアクション監督でなく、壁を乗り越えた感じがする。大体二番煎じの作品は大抵うまくゆかないが、これはうまくいってる。サラッとしすぎるくらい、ダレがないのはいいんだ。近頃はリバイバル映画、わりとみんなうまくやるね。それだけ映画もやはり進歩してるんだと考えたいな」などと評している。





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