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高倉健の映画



地獄の掟に明日はない
 
1966年(昭41)10月30日公開/東映東京/90分/
総天然色/シネマスコープ
 
企画 植木照男
矢部恒
脚本 高岩肇
長田紀生
 監督 降旗康男
撮影 林七郎 音楽 八木正生  美術 中村修一郎
出演-高倉健・十朱幸代・三國連太郎・今井健二・河津清三郎・佐藤慶・南田洋子・石橋蓮司・小林稔侍
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高倉健主演映画としては前作「日本侠客伝 雷門の対決」から一ヶ月半後の公開。
後年に数多くのコンビを組んだ降旗康男監督との初タッグ作品。

いわゆるヤクザ映画ではあるが、どこか上品でスマートな雰囲気がある。
これは政治家を父に持ち、地元の名家の生まれとなった監督の資質だろう。
何と南田洋子とダンスを踊ったりするシーンが有る。
また三國連太郎演ずる組の顧問弁護士が深く絡んだり、かなりの知的な要素がある。

今井健二扮する健さんと同郷の新聞記者との友情やら、
ヤクザと知らずに知り合った十朱幸代との恋愛模様などフランス映画風。

ラストも、波止場で待つ十朱と、傷を追って急ぐ健さんとのカットバックに、汽笛が鳴り響くカットがインサートされたりとそれなり。
ただバック音楽のトランペットを生かしたかったのか、長すぎてダレた。
それと最後に傷つくのは対立するヤクザに刺されるのではなく、原爆症の悪化の方が筋が通っていた。

ともかく高倉健は、この3歳年下の降旗監督の資質が気に入ったのだろうと思われる。

以下Wikiより転載
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『地獄の掟に明日はない』は、1966年10月30日に公開された日本映画。
高倉健主演、降旗康男監督。東映東京撮影所製作、東映配給。東映スコープ、カラー、90分。

計20本の映画を撮った高倉健・降旗康男コンビによるその第一作。本作での高倉は原爆症に悩むヤクザという異色の設定。ラストは1937年のフランス映画『望郷』の焼き直し。また高倉の任侠映画の名セリフ「死んで貰います」が最初に使われた映画とされる。

企画
降旗康男は、急に別映画の監督に移った佐藤純彌の代わりに『非行少女ヨーコ』で監督デビューを果たすが、これ以前に『網走番外地』のプロデューサー・植木照男と高倉健主演を想定して『地獄の掟に明日はない』の元になった『男の町』という題名の脚本を書いていた。当時「網走番外地シリーズ」が上手くいかず、撮影が延び、東映は高倉のシャシンが欲しいため、急遽、佐藤らがやっていた脚本で撮ることになった。しかし『男の町』ではお客が入らないと、東映に勝手に『地獄の掟に明日はない』とタイトルを変えられた。

脚本
最初の脚本は広島で被爆したヤクザの苦悩を前面に出し、広島の周辺都市・山口県岩国市や宇部市の基地問題を絡めた社会性の強い話だった。しかし長田紀生がまとめた脚本を高岩肇が東映ヤクザ映画調に書き直し、広島ではなく長崎での被爆に変更され、高倉扮するヤクザが原爆症で悩むという話がテーマだったが、社会的な話はほぼ全部削られた。降旗は何とか元の形に戻そうとしたが、時間がなく上手くいかなかった。

撮影
封切り25日前にクランクインし、すぐに二週間長崎ロケに入り、残りは東映東京のスタジオでセット撮影。過酷なスケジュールで高倉から降旗への質問も一切なし。0号試写前日までダビング等を行い完成。

作品の評価
降旗は所属する東映東京が量産していた高倉主演の「昭和残侠伝」「網走番外地」各大ヒットシリーズとの違いを出そうと高倉に背広を着せた。東映社内では評判は良かったが、あまりヒットせず。当時の東映企画本部長・岡田茂から『健坊は着流しとかジャンパーを着せたらお客が入るけど、背広着せたらお客が入らん』と文句を言われたという。
しかし高倉からは「(妻の)江利チエミがとてもいいと言っていたよ」と言葉をかけてもらったという。

同時上映
『任侠柔一代』
主演:村田英雄 / 監督:中島貞夫



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