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小津安二郎の映画



朗かに歩め
 ★★★
1930年(昭和5)3月1日公開/95分
モノクロスタンダード無声/松竹蒲田
原作 清水宏 脚色 池田忠雄
 監督 小津安二郎
撮影・編集 茂原英雄 撮影補助 厚田雄春
 舞台設計 水谷浩
出演-高田稔・川崎弘子・吉谷久雄・坂本武・鈴木歌子・松園延子・斎藤達雄
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1930年に公開された小津安二郎監督27歳の時のサイレント映画。

既にヒッチコックは前年1929年にイギリス映画初のトーキー「恐喝」を監督、
フォードも同じ年に「黒時計聯隊」でトーキー映画へと移行。しかし小津のトーキー初演出は1936年とかなりの後年となった。

その理由はWikiによると・・・
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1931年、松竹は土橋式トーキーを採用して、日本初の国産トーキー『マダムと女房』を公開し、それ以来日本映画は次第にトーキーへと移行していったが、小津は1936年までトーキー作品を作ろうとはしなかった。その理由はコンビを組んでいたカメラマンの茂原英雄が独自のトーキー方式を研究していたことから、それを自身初のトーキー作品で使うと約束していたためで、後に小津は日記に「茂原氏とは年来の口約あり、口約果たさんとせば、監督廃業にしかず、それもよし」と書いている。小津は茂原式が完成するまでサイレント映画を撮り続け、松竹が採用した土橋式はノイズが大きくて不備があるとして使用しなかった。しかし、サイレント作品のうち5本は、台詞はないが音楽が付いているサウンド版で公開されている。
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との事。小津は相当な頑固一徹な性格だったらしい。

この「朗かに歩め」は、当時の小津の「外国好き」な嗜好が画面にあふれている。
多分横浜の港だろうと思われ最初のシーンから、役者を西洋人に変えれば海外ロケと言われても信じてしまうほどの異国情緒まがいだ。街の看板は英語しか写さず、坂本武の会社も部屋の名前に至るまで全て英語表記。水谷浩の設計したバーや、主人公・高田稔の部屋なども、壁もポスターも英語であふれている。

昭和5年と言うと、第1回全日本柔道選手権大会、第1回全日本スケート選手権大会が開催されるなどのスポーツ団体の黎明期。
そして東京-神戸間を結ぶ「特急燕」が初登場。 時速は何と66Kmで9時間を要した、今から考えればのんびりとした時代。

詐欺師の高田稔が淑女の川崎弘子に一目惚れ。ヤクザな道を捨てて窓拭き職人になるのが大筋。
ラストは警察に捕まるが、「待っています」の言葉を受けて出所、二人は結ばれてメデタシメデタシのお話。

中盤がダレて、音楽もないので眠くなってしまったが、初登場のダチ二人組が同じ動作で踊って登場したり、エレベータ内で足の動きが伝播していく様とか、二人の人げがベッドに寝ていて同時に起き上がって相似形になって喋りだすとか、後年の「小津調」の片鱗がうかがえる。
小津は単純に同じ動作の繰り返しが構図的に、好きなんだろうと思われる。そこには二人の人間の関係が良好だとの暗示でもあったのだろう。

以下Wikiより転載
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『朗かに歩め』は、1930年(昭和5年)3月1日公開の日本映画である。
松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント、95分。

小津がアメリカ映画に傾倒して作った作品で、作品中には自動車、ゴルフ、タイピスト、ピクニック、アパート、ベッド、洋服など、当時の日本の生活様式の中ではなじみのない洋風のものが登場し、主人公たちがモボ・モガであるなど、ハイカラ趣味を示している作品となった。また、俯瞰や移動撮影(自動車の走行シーンなど)の使用や、ツーショットで2名の人物が向かいあって会話するなど、後の小津映画にはない技法や演出が見られる。初回興行は帝国館。



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