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ALK陰性
未分化大細胞リンパ腫

闘病の日々

愛知県に住む62歳10ヶ月の男Iです。突然、悪性リンパ腫になってしまいました。
これから先、突然に同病を患う人も居ると思われるのでその参考になればと思いupしていきます。

19年前の「結核性胸膜炎・闘病記」はこちら

 発症~入院 抗がん剤投与①~退院  >通院・抗がん剤投与②~ 




2020/8/25

今日は外来へ行ってきた。

本来なら本日は抗がん剤投与の2クール目なのだが、通院治療用のベッドが満床らしく、来週に一回ずれた。

採血の結果は以下。

 正常値 8/7
(投与1日目)
8/11
(投与5日目)
8/14
(投与8日目)
8/17
(投与11日目)
8/20
(投与14日目)
8/25
(投与19日目)
  白血球 感染症 3300-8600   15730 7640  3320  860  2480  8740 
 赤血球 貧血めまい  435-555  444  414  475 453 445 449
ヘモグラビン  出血貧血  13.7-16.8  13.8  12.7  14.6  13.9  13.7  13.9
血小板 口内炎  15.8-34.8 26.1 23.2 21.9 15.1 22.1 25.4
好中球  感染症
免疫力低下
 38.5-80.5  89.7  93.8  74.4  26.7  29.0  87.8
 好中球数  500以下要注意  14110  7166  2470  230  719  7674
 γ-GTP
肝臓   13-64 44   38  50  52  51  67

白血球が基準値内に入って、他の値は全て正常値となった。
逆に、何故か肝臓の値γ-GTPが「67」とHレベルになってしまった。浴びるほど酒を飲んでいるわけでもなく、服薬の影響だろうか。




2020/8/30

私の病気は、それまでの5年生存率は40-50%だったが
昨年2019年12月に新しい抗がん剤が認可され、5年生存率が70%まで向上したそうだ。
不幸中の幸い、ではあった。

ただ5年生存率70%と言っても、再発して治療中も含めての%で、どんな状態だとしても、命は有る、という事だろう。

試しに、ほかの固定ガンの5年実測生存率を調べてみる。(国立がんセンターのデータ)

ステージは私と同じ、ステージⅡの場合。

胃がん-58.65
大腸がん-75.6%
肝臓がん-38.35
肺がん-40.85
乳がん-91.45
食道がん-44.35
膵臓がん-16.45
前立腺がん-89.95
膀胱がん-47.9%


ステージⅡというと、外科手術が奏効すれば治癒するのではとのイメージが有るが、大腸がん乳がん前立腺がん以外は、かなり低いのが意外だった。

あくまで全年齢層での平均値であり、既往症があろとなかろうと全て含んだ上での%なので、ご了承を。




2020/9/1

この日は通院治療で二回目の抗がん剤投与日。

8:30に採血して白血球などの値に問題なければ昼より抗がん剤を投与する。

最初の抗がん剤投与から丸三週間経っているので勿論問題なし。
11時に病院レストランで昼食をとって外来治療センターへ。

ベッドやらリクライニングシートが立ち並ぶ部屋で、これから4時間かけて投与を行う。



下の写真の点滴が、去年の12月に認可された抗がん剤、アドセトリス

がん細胞のみ攻撃する分子標的治療薬なので、従来の抗がん剤より副作用が少ない。



両首のリンパに移転した腫瘍や頭頂部の腫瘍は
この抗がん剤のおかげで、下の画像のようにように縮小している。

頭頂部腫瘍の画像(クリック注意・少々グロ)

16時には終了して帰宅した。

副作用は今のところ出ていない。

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今回、入院と共に高額医療費の申請を行った。
これは前年度の年収に応じで高額な医療費が控除される制度。

私の場合、たまたま去年に株式の譲渡所得があり、最高額の適用区分となってしまった。
なので入院費は300.590円だった。これは食費と差額ベッド代も含む料金。

で今回の外来での抗がん剤治療代だが、薬代も含めて何と254,990円!

まさかここまで抗がん剤が高額なものとは・・・・。

ちなみに年収600万以下なら約8万円。210万以下なら約6万、となっている。

ただし多数回該当があり、過去1年間に3回以上上限に達した場合は、
4回目からは自己負担額は約半額になる。




2020/9/17




上記の岩波新書「いのちとがん」の著者、坂井律子さんは、NHKのディレクターで、20年以上前に一度仕事した事がある。その彼女が膵臓がんになった際の闘病記だ。

とても優秀でお酒好きなディレクターだったとの覚えがあるのだが、その後山口放送局の局長になって、東京の編成計画に栄転した直後、膵臓がんが発覚した。

膵臓がんの5年生存率は9%。2016年5月に発覚して、2018年11月に亡くなっている。約2年半・・・。

この本は何度も読み返したが、抗がん剤投与の副作用の凄まじさがよく分かる。
二週間に一回、50時間ほどの抗がん剤を投与する。投与当日から呂律が回らなくなり、味覚障害、倦怠感が襲う。白米は砂利の味がし、水は泥水を飲むよう。そして最後の4日間のみ、何とか普通の日常を取り戻し、家族と小旅行へいったり、友人と会食したりが可能となる。

この本に書かれている副作用と比べたら、今の私の副作用はほとんどゼロ、だ。
ホント、不幸中の幸い、だ。

ただこの後、一度は完全寛解するだろうが、再発すれば耐性ができるので同じ抗がん剤は効かなくなるかもしれない・・・。

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抗がん剤の歴史

「抗がん剤の起源として、最初に登場するのはマスタード。マスタードとは毒ガスで、第1次と第2次世界大戦で使われていた。

第2次世界大戦中の1943年末、
イタリアの基地バーリ港に停泊していたアメリカの輸送船がドイツ軍の爆撃を受けて、積んでいた大量のマスタードとナイトロジェンマスタードが大量に漏出した。翌朝から、兵士たちには目や皮膚を侵され、重篤な患者は血圧低下とショックを起こし、それに白血球値が激減するなどして、被害を受けた617人中83名が死亡した。1日あたりの死者数でみると、被害後2~3日目の最初のピークが毒ガスによる直接死亡で、8~9日後の2度目のピークが白血球の大幅な減少による感染症での死亡と考えられた。

この報告を受けた米国陸軍のギルマンと同僚グッドマンはマスタードガスが引き起こす障害は、細胞分裂が抑えられた事によるものと推定した。この働きが放射線の作用と似ているため、これをがん治療に利用することを思いつく。
当時、白血病やリンパ腫の治療には放射線が使われていたが、固形がんは手術で切除するより他に治療法がなかった。

彼らは自説を確かめるため、がんを植えたラットを使って実験を始めた。
ラットにイペリットを改良したナイトロジェンマスタードを静脈注射で投与すると、何も処置をしなければ3週間程で死ぬところが、がんが縮小して12週間も長生きした。

この結果から、手術も放射線も使えない固形がん患者に対して、1946年世界初の抗がん剤治療が行われた。
その結果、数週間続く腫瘍縮小効果が確認され、この後、抗がん剤治療が発展して行った。」

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戦時中の毒ガス兵器から、抗がん剤が産まれた。

戦争は忌み嫌うものだが、その反面、科学技術を発展させて来たのは歴史を顧みればわかる。
カーナビやグーグルマップも元は軍事衛星の商用利用であり、インターネットも核戦争時の通信手段として発展したものだ。



2020/9/29


9/29は三度目の抗がん剤投与。

外来治療で4時間ほどかけて投与する。
前回からちょうど4週間目。本来なら三週に一回なのだが、先週は四連休にあたって一週間後のこの日となった。

 

抗がん剤投与のスケジュールはトータル6クールなので残り三回。
10/20、11/10、そして12/1が最終日となる。そして約一ヶ月後の年明けに、PET/CT検査をして、光らなかったら「完全寛解」となる。

頭頂部のがん細胞は未だ少し残っている。消失しなければ放射線治療も考えるとのこと。また10/16にCT検査をして途中経過を見るとの事だ。

頭頂部腫瘍の画像(クリック注意・少々グロ)

それまで頭髪は少し残っていたのだが、スッパリとバリカンで剃毛してツルッパゲにした。帽子などで隠さず、堂々と禿げ頭で過ごそうと思う。

この一ヶ月、副作用はほとんど無く、まったくの順調だった。
発熱が一番怖いので、少しでも熱っぽと感じたら、即体温計でチェックしていた。結果が出るまで3分くらいかかる体温計なので、アマゾンで病院で使用していたのと同じ、30秒で仮判定が出るテルモの体温計を購入した。

現在、投与している抗がん剤は、打ってから7~10日後あたりの期間が一番白血球が下がり、
感染症に感染する危険が一番増すので、その間は部屋に引き篭もっている。

それ以外は副作用も少ないので、先週は親戚たちと知多半島へ一泊旅行をしたり、
つい3日ほど前には、久しぶりに奥三河で車中泊の星空撮影をしたりした。



奥三河の「道の駅 なぐら」の五平餅そば定食\650で昼食。

  


この後の治療スケジュールは、まずは現在の医療技術ではがん細胞を認識する事ができない、「完全寛解」を目指すこととなる。
「完全」と謳ってはいるが、「完全治癒」ではない。細胞単位ではがん細胞は、未だ生きている可能性がある状態だ。



2020/10/20


10/20は4度目の抗がん剤投与。

10時から血液内科処置室で採血。10時半に皮膚科。
11時半に血液内科。12時から外来治療室で抗がん剤投与のスケジュール。

 

当然時間は遅れ気味で、結局抗がん剤投与は13時半からとなり、終わったのは17時。

10/16に途中経過として、頭頂部と首リンパのCTを撮っていた。結果は首のリンパはほとんど消失しているよう。
ただ頭頂部は、担当医の指示が間違っていたらしく、撮れていなかった。
ただ見た限りでは、がん細胞は認められない。赤くなっているのは皮膚の炎症の名残だろうとの事。



しかし皮膚科の担当医によると、赤くなっているのはがん細胞の可能性もあるので、
12月の診察の時に未だ残っているようなら、一度生検をしましょうとの事。

いずれにしても抗がん剤投与のトータル6クールの半分が終わった時点で、首のリンパは消失、頭頂部は未だ少し残存の可能性。
これから本日、11月、12月と残り半分3クール投与すれば、ほぼ全てが消失するだろうと思う。

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8月の入院時に毎日の体調などをメモするようにシートを渡された。
体重や体温、排便の回数やらを記入していく。



入院時は3日に一度の採血結果の数値を記入していくと、抗がん剤投与で血液内の数値が、どのように変化していくか把握できる。

抗がん剤を投与すると、血液の生産能力が下がる「骨髄抑制」が発生する。

白血球が減ると、免疫力が低下して感染症にかかりやすくなる。(発熱・めまい・腹痛・下痢)
赤血球が減ると、貧血が起こる。(めまい・息切れ)
血小板が減ると、出血しやすくなる。(鼻血・歯磨き時の出血・あざ)
好中球数が減ると、感染症に対する制御がきかなくなり、感染症で死亡するリスクが高まる。(急性細菌感染症・真菌感染症)

退院したあと、今後の外来治療に必要だと思い、EXCELでシート化した。

それを見ると抗がん剤は、一般の薬のように速攻で効くものではなく、本来は毒だからなのかもしれないが
じわりと一週間ほどかけて影響が現れるのが分かる。

1クール目 ↓クリックで拡大


シートを見ると投与の11日目が白血球と血小板、好中球吸数の最低値となっている。
その3日後には回復してきて、それを確認して翌日に退院となった。

軽い皮膚の炎症などの発疹が10-13日目に出た。
担当医は薬の副作用と言っていたが、元々乾燥肌で、二週間の入院の間、
乾燥したエアコンの部屋で過ごしたので、そのせいかなと思う。実際に2クール目以降は、薬疹は発症していない。

2クール目 ↓クリックで拡大
上記は2クール目のシート表。

入院時は、共同部屋だったこともあり眠剤をもらえたので眠れた。
これは投与後の5日間、ステロイドを服用するため、その副作用で不眠となる。
2クール目は自宅での睡眠なので、なるべく眠剤に頼らないほうが良いとの事で、処方してもらえなかった。

また手足の痺れが多く感じるようになった。そして9日目あたりから突然声枯れが始まった。
さらに軟便・下痢が頻発した。

3クール目 ↓クリックで拡大
3クール目。

同じように不眠が始まったが、5日目以降はステロイドの服用は無いので収まった。
手足の痺れも頻発し、声枯れも9日目から14日目、前クールと同じように発生した。
また下痢も後半に多い。

4クール目 ↓クリックで拡大
そして今回の始まったばかりの4クール目。
さっそく不眠が続いている。

血液検査の推移 ↓クリックで拡大
血液検査の数値を並べてみると、抗がん剤投与以前と比べて、白血球がほぼ半分、好中球数も半減している。

またγ-GTPが今回さらに数値が上がって「90」となった。
アルコールはかなり控えているつもりなので、抗がん剤による薬物性肝障害だろうと思う。

一般的な正常値の上限は「100」。
ただ今までの健康診断の数値で、「140」とか「189」とか出しているので、未だ安心かな、とは思っている。

一般的に考えられている抗がん剤の副作用、倦怠感や味覚障害などは発生していないので、まだ恵まれていると思う。

食欲もあるしお酒も美味しい。有り難いことだ。



2020/11/17


11/17は5度目の抗がん剤投与。
本当は3週間ごとの投与が基本なのだが、外来治療センターの空きがなく4週目となってしまった。





頭頂部の病変はあまり変わらず。
がん細胞が残っているのか、カサブタとかの細胞が壊死したものなのか。

皮膚科の診察が12/11にあるので、その時に生検して結果を見ることとなる。
がん細胞残存なら放射線治療となる。

また年明けの2021年の1/18にPET/CTの予約をとった。
その結果、光る場所がなければ、一応の「完全寛解」となる。

血液検査の推移 ↓クリックで拡大

約一ヶ月前に比べて、白血球と好中球数が増加。
その他は横ばいだが、γ-GTPが100を超えてしまった。
飲酒量は以前と比べて確実に減っているので、薬物性肝障害だと思う。


副作用は以下の通り ↓クリックで拡大
投与後から4日間ほどはステロイドを服用するので不眠が続く。
手先のしびれは以前と比べて強くなった。
また軽い口内炎が発生した。少し腫れた程度で飲食には差し支えない。
皮膚の炎症というかイボが出来て、歩行に少し障害が出た。これは副作用なのかどうかは分からない。
声枯れは前回と同じように9日目から14日目まで規則正しく発生して消えた。
今回は下痢が少なかった。
また体重が、投与直後には増加、その後はゆるやかに減少している。

次回の投与は12/8でこれが最終となる。
やっと残すところ、あと一回の抗がん剤投与となった。


2020/12/8


12/8は6度目の抗がん剤投与。ついに最後の投与となった。

 

頭頂部は変わらず。
担当医によると「饅頭の皮」とか呼ばれるもので、過去にがん細胞だったモノの上皮のみで、問題ないだろうと。

12/11に皮膚科の予約が入っているので、生検して調べれば確定するだろうとの事。



今回は10:30からの予約で丁度10:30には治療センターに入れたのだが
投与が始まったのは11:30過ぎ。

抗がん剤の薬の調合が、薬剤部が忙しく遅れているとの事。
豊橋もコロナの患者が増えて来ているので、それも遅れた理由だろう。

前回からの副作用経過EXCELを下記に貼る。
相変わらず投与当日から服用するステロイド剤の副作用で不眠が続いた。
その後、手先の痺れと声枯れが始まって、12,13日目くらいから副作用は軽減していった。
今回は下痢することが少なかった。


採血の結果は以下の通り。

γ-GTPがさらに値が悪化していた。
医者は何も言わなかったので、抗がん剤の影響で出ているのだろう。

乳酸値が高いと指摘されたが、昔から高いので体質のようだと答えると
じゃあ別に薬は出さなくて良いですね、となった。

それ以外の値は、ほぼ横ばい。想定内のようだ。

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8/6以来、やっと6クールの抗がん剤投与が終了した。4ヶ月で済んだ。

先日、テレビの対談番組で、悪性リンパになって寛解した、フジの笠井アナが出て、
自身の闘病記を映像とともに解説していたが、抗がん剤投与は5日間連続投与の、8クール。
食欲減退、味覚障害と凄まじかったらしい。
歌手のあみんのボーカル女子は、急性白血病で移植を受けて半年あまり入院。
競泳の池江選手も、治療は想像していた以上に壮絶だったと語っていた。

それに比べたら、私の場合はとても楽だった。

しかし、これから先、再発した場合、より悪性度の高いがんになるだろうから、
その時は比べ物にならないほどの副作用に苦しめられるだろう。

ともかく、来年の1/19にPET/CTを撮って、1/26にその結果がわかる。
もしがん細胞が認められなかったら、一応の「完全寛解」となる。

最後に、医者に「生物はいつ頃から食べられるか」聞いたら、
正月あたりからは大丈夫でしょうとの答え。

8月の入院以来、寿司と納豆は一切食べていない。

年末あたり、回転寿司でビールを飲みに行こう。



2020/12/31


12/8の抗がん剤投与から20日が経過した。
EXCEL表は以下の通り。
投与当初はステロイド剤のせいで不眠が続き、7日目あたりから体重減少とともに、声枯れが始まるのはいつもの通り。

しかし今回は、冬の乾燥のせいもあるのかもしれないが、皮膚の擦り切れが激しかった。
また手先、指先の痺れが今までで一番強かった。16日目だったか、茹でたスパゲティをザルにあげようとしたら、力から入らず滑って茹で汁をぶちまけてしまった。今現在も指先の痺れがあり、KBで文字を打つのが少し辛い。

また指の爪が変形して、デコボコの段々になっている。やはり毒が体内に溜まっているのだろうか。


12/23には来年5月の中野ゼロ上映会の施設使用料を払いに東京へ。
帰りには以前住んでいた本厚木のホテルへチェックイン。

夕食はホルモン焼きの酔笑苑へ。
やはり超絶、美味しかった。


12/25には皮膚科へ。
2週間前に採った頭頂部の生検結果を聞きに。
結果、がん組織は検出されなかったとの事。
ひとまずは安心した。

その日の昼は寿司を食べにはま寿司へ。

半年振りの生魚の寿司だったが、それほどの感動はなかった。こんなもんか・・・。
やはり廻っていない寿司屋に行くべきだったかも。

12/27は彦根のホテルへ。
天気が良ければ車で琵琶湖の北にある余呉湖で撮影しようと予約したのだが、生憎の曇り空。
なので新幹線での一泊旅行に切り替えた。

夕食は近江牛のすき焼き。
関西風すき焼きだからか、白菜とかの野菜が少なく、タレも大甘で胃にもたれた。


今年2020年は、個人的には大変な年だった。
世間的にも、世界的にも、コロナ蔓延で歴史に残る年となった。

来年はひとまず、癌が寛解してほしいものだ。



2021/1/28


2021/1/19にPET/CTを受けた。
その結果が先日、1/26にあった。

診断結果は「微妙・・・」
頭頂部に薄い反応が出たとのこと。

去年の治療前に撮ったPET画像と、今回の画像を比べてみると、
去年のは頭頂部が真っ赤に反応して表示されているが
今回のは薄い黄色とか青色に反応している。断面図でも同様な色合い。
PET技師の説明文には、癌の可能性もあるがそうでない可能性もあるとの事。

担当医が言うには、年末に皮膚科で生検をした際に出来た傷が反応したのかもしれない、
ともかく目に見える場所なのでこのまま経過観察をして、
もしまた病変として盛り上がってきたのなら、他の抗癌剤の治療を開始する事になる、
効く抗がん剤は未だ未だあるとの事。

去年の年末に受けた皮膚科の生検の結果は、がん組織は認められなかったので、
この日で一応の寛解となり、しばらくは自由の身になると思ったのだが・・・。

12/8の抗がん剤投与からの21日目以降の
EXCEL表は以下の通り。
本日で51日目となった。
手先の痺れは、時々強くなったりするが、かなり微細になりつつある。爪の段差は変わらず。
42日目の1/19あたりから、ヒゲが伸び始めた。また頭の毛も、薄っすらと生え始めている。

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もし頭頂部に未だがん組織が残っているのなら、
これから抗がん剤の効果が薄らぎ出すに連れて、活性化して行くだろう。
自分では直接目に出来ない箇所なので、毎日デジカメで撮影して、変化を見極めようと思う。

現在の頭頂部の写真(クリック注意! 少々グロい)

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ネットでPET検査を調べてみると、PET検査の有用性は

<良性か悪性かを見極める>
CTやMRIなどの“形"を見る検査では、それだけでは良性か悪性(がん)か判断できないことがある。
PET検査では、ブドウ糖を多く取り込む悪性の腫瘍の場合に明るく光るので、良性、悪性の鑑別を容易に行うことができる。

上記の文に則って考えると、
今回の頭頂部がほんのりと明るかった理由は、ブドウ糖がそれほど集まってなかった結果による。
それは抗がん剤によって、がん組織が弱体化していたのか。
これからそれが再び活性化していくのか、あるいは死滅に向かっていくのか・・・。

いずれにしても、時間が立たなければ結果は出ないことになる。

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次回の診察は三ヶ月後の4月下旬。それまでに頭頂部が盛り上がってきたら、
いつでも診察を予約してくれとの事。

くよくよしても仕方ない。
毎日を楽しく生きていこうと思う。



2021/3/19


昨日の3/18で最後の抗がん剤投与から100日目の月日が過ぎた。

いつものexcelシートを貼る。
最初の頃は指先の痺れを毎日感じていたが、
ここ数日はかなり軽減して、気付かない日も多くなってきた。


1/26のPET検査で淡く光った、頭頂部の腫瘍は大きくはなっていない。
(↓クリック注意:少々グロ)
写真上から、1/26、2/16、3/18の順。
また毛が生えてきた。


医者はがん細胞が未だ残っていたのなら、再び頭頂部から大きくなってリンパ節に転移していくと言っていた。
しかし、いきなりリンパ節から再発する可能性もあると個人的には思っているので
普段から首のリンパの違和感を気をつけているが、今の所は大丈夫そうだ。

投与した抗がん剤を発売している武田薬品のHPには、再発の中央値が約4年とのエビエンスが記述されているので
少なくとも3年は再発しないと信じたい。

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刹那的に星を撮り続けている。



ともかく、いかに楽をして良い映像を撮るか。

ホントは標高の高い山に登って撮れば、それが一番クリアーで美しい映像になるのは分かっているが、苦労はしたくない。
車を駐車できて、そのすぐ横に三脚立てて撮影できるのが一番のベスト。離れたとしても徒歩1分以内。

カメラをセッティングして、あとはおまかせ撮影で車中泊。自室に戻ってPCソフトで写真を並べて、初めて動画として見ることとなる。
失敗したか成功したかは、その時のお楽しみ。刹那的で投げやり、そんなロケを楽しんでいる。







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